Vol.48 ハイヤーセルフを超えて【意識の段階】

2015. 10. 23 配信

~十牛図に見る人間の意識の二つの段階 Ⅱ:覚醒=”私”の不在。思考も、感情も、肉体も、”私”のものではない~

 

こんにちは♪
変化の嵐の只中にある、透視リーダー☆ちはるです。

人生が一変してしまうような、そんな衝撃的な出会いの体験が誰しもあるのではないでしょうか。

私にとって、それは、つい半年ほど前に出会ったばかりの”非二元”(ノンデュアリティ)のメッセージ。
ある女性覚者の著書に触れて、自我が打ち砕かれるほどの激しい衝撃を受けました。↓
すでに愛の中にある
(大和田菜穂 著)

 

完全に満ち足りた、完全に自由な現実というものが、”私”という自己意識のない自己不在の著者によって明らかにされています。

非二元について語られている本はたくさんあれども、非二元そのものから発信されている、これほどシンプルで純粋なメッセージには出会ったことがありません。

アマゾンでの書評が真二つに分かれているのも、そこに読者の自我のありようが浮き彫りにされていて、非常に興味深いところです。

もはや”私”がいない自己不在の住人たちが、どうやら、最近、この二元の夢の世界で、密やかに急増しているもようです。

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前回のメルマガでは、「原因と結果」についてお話ししました。

人生とは、単独でバラバラに存在している無数の静止画像の連なり。

「こうすれば(原因)、こうなる(結果)」という因果関係とは、それら無数の画像が、自我によって関連づけられ、意味づけされて創り上げられた解釈(ストーリー)であり、幻想であるとお伝えしたのでしたね。

 

それでは、ちょっと考えてみましょう。

「原因と結果」が存在しないとは、言い換えれば、何かを達成するための方法やプロセスというものはない、ということになりますよね?

「この方法を用いれば(原因)、こんな成果が得られる(結果)」、「この道順をたどれば(原因)、ここへ行き着ける(結果)」とは、自我によって意味づけされた解釈(ストーリー)であり、本来、いかなる方法もプロセスも存在してはいません。

 

ところが、時間の流れの中にあるこの二元の幻想世界では、水を熱すれば沸騰するし、転ぶと膝を擦りむいたりします。
レシピ通りに作れば、美味しい料理もできるし、治療やセラピーを受ければ、体調が回復したり、人生がよりよく変わっていくこともあるでしょう。

“私”の人生という二元の物語においては、このように、見かけ上は、すべてが因果関係によって成り立っていて、効果的に見えるさまざまな方法やプロセスがあります。

このことを念頭に置いた上で、これから、完全に満ち足りた、完全に自由な現実=「覚醒」について迫っていきましょう。

 

人間の意識の二つの段階について覚えているでしょうか?↓
*Vol.28 ハイヤーセルフを超えて【幻想から目覚める⑧】

ここで、禅画「十牛図」をもう一度題材にして、人間の意識の二つの段階について再び取り上げましょう。
*十牛図
(出典:ウィキペディア2015.10.23現在)

十牛図の十枚の絵図は、悟りへと至るまでの人間の意識の進化が描かれており、いわば、覚醒のパターンが暗示されています。

これらの絵図の物語には、完全に満ち足りた、完全に自由な現実=覚醒への鍵が隠されているのです。

 

十枚の絵図を読み解いてみると、人間の意識の段階(ステージ)を、次の二つに分けてとらえることができます。

————————————–
◎第一ステージ
十牛図 1)~7)

・”私”(自己意識)が主人公の、二元の物語の世界。
・”私”は常に満たされていない。
・”私”は常によりよい何かを求めていて、何かを所有している。

◎第二ステージ
十牛図 8)~10)

・”私”(自己意識)が不在の、非二元のあるがままの世界。
・無限に満ち足りている。
・探求したり、何かを所有できる”私”という個人がいない。
————————————–

 

「所有している」、「”私”(自己意識)が不在」とは、いったい、どういうことなのでしょうか?
この二つのステージは、具体的には、どのように違うのでしょうか?

十牛図をもとに、以前とは別の視点から、それぞれのステージについて掘り下げ、完全に満ち足りた、完全に自由な現実への鍵を解き明かしていきましょう。

 

◎第一ステージ
十牛図 1)~7)

◆十牛図 1)~4)

一なる全体、”空”から隔てられた分離意識の状態にあり、「私(主体)と私以外(客体)」という二元の物語の中で、時間の流れとともに生きています。

全体から分離した”私”という個別意識ゆえに、誰もが根底に欠乏感や不満足感を抱えていて、常に「満たされよう」と求めています。(=探求)

内側の満たされない感覚を埋めようと、お金、仕事、成功、パートナー、愛情、健康、美を求めて、幸せを外側に探し続けています。
(十牛図1~3)

自分を喜びで満たしてくれるものを追いかけ、苦痛をもたらすものから逃れようと身を守っています。

自由意志と選択があると当たり前に信じていて、よりよい道を選んで、よりよい自分になろう、人生を「よりよく」していこうと求めています。

お金、仕事、成功、パートナー、愛情、健康、美を、自分のものとして所有しています。
知識、経験、人生を、自分のものとして所有しています。
思考、感情、肉体を、自分のものとして所有しています。

 

内側を探求している人たちは、成功哲学、自己啓発、心理療法、スピリチュアルな教えなどを通して、自分を変えよう、人生をよりよく変えていこうと取り組んでいます。

こうした内的活動もまた、内側の満たされない感覚を埋めようと、二元の幻想の中を、よりよい次へと向かってさまよい続けているだけの、出口のない、果てなき探求であると気づいてはいません。

人生をコントロールできると錯覚していて、内的探求によって自我を成長させ、強化させています。

 

探求を通して、やがて、意識的または無意識的に、自己の本質、ハイヤーセルフ(=牛)と接触します。
(4得牛)

 

◆十牛図 5)~7)

ひとたびハイヤーセルフと接触すると、次第に、ハイヤーセルフとのつながりが深まっていきます。
(5牧牛)

親や学校や社会から刷り込まれてきた信念や価値観、さまざまな媒体や他人から得た知識や情報などの、外側の影響から解放されていきます。

“私”が人生の創造者であると認識していて、内的創造パワーを自分のものとして所有しています。
ハイヤーセルフから意識的、無意識的に得た情報や知恵を、自分のものとして所有しています。

 

ハイヤーセルフとのつながりがさらに深まると、ハイヤーセルフにいざなわれ、空なる故郷への帰還の旅が始まります。
(6騎牛帰家)

思考と感情の荒波が静まり、自我が次第にほどけていきます。
二元の幻想の中で堂々巡りの探求をしている自分に気づいて、二元の夢から少しずつ目覚めていきます。

神、天使、マスター、守護霊は、本当はいない。
人やモノや出来事も、知識や理解や経験も、人生のすべては、二元の夢の絵空事。
この物理世界も、スピリチュアルな世界も、ハイヤーセルフさえも、実体なき幻であると気づきます。
【7忘牛存人:人(私)が牛(ハイヤーセルフ)を忘れ去る】

自由意志や選択というものはなく、人生には、いかなる意味も目的もない。
そもそも”私”という自己意識それ自体が幻想であり、何かを選択したり、手に入れたり、所有できる、個人の”私”は存在していないのだと気づきます。

在るもの、起きていることそれ自体に何ら意味はなく、この世のあらゆるすべては、一なる全体、”空”が、あらゆる何かとして、ただそのように現れているだけ。

この二元の世界は、一なる全体による完璧な表現であり、”私”が本当に探し求めていたものは、全体の現れとして、最初から、すでに、ここに在ったのだと気づきます。

 

◎第二ステージ
十牛図 8)~10)

“私”という自己意識が、一なる全体、”空”へと溶け込み、消え去ります。(=覚醒)
【8人牛倶忘:人(私)も牛(ハイヤーセルフ)も忘れ去る】

「私(主体)と私以外(客体)」という分離と二元の幻想が消え去り、一なる全体だけが残ります。

満たされない感覚が、”私”ごと”空”へと呑み込まれて、よりよい何かを求める探求への衝動がなくなります。

分離による不満足と探求の苦しみから解放されて、自然界のごとく、あるがままの世界、完全に満ち足りた、完全に自由な現実が姿を現します。
(9返本還源)

 

自己意識のない自己不在の”見かけ上の”個人が、一なる全体の現れとして存在しています。

思考が、ただ起きています。
感情が、ただ起きています。
肉体の感覚が、ただ起きています。
思考も、感情も、肉体も、”私”のものではありません。
それらを所有できる”私”は、もはや存在していません。

思考、感情、肉体、感覚、記憶、音声、机、椅子、PC。
時間、空間、宇宙、動物、植物、書くこと、話すこと。
何でもないもの(=一なる全体、”空”)が、無数に異なるあらゆる何かとして現れています。
無時間の今ここで、ただ起きていることだけが在ります。

 

第二ステージの”見かけ上の”個人が、第一ステージの人々と笑顔で交わり、一なる全体からメッセージを分かち伝えています。
(10入?垂手)

 

 

いかがでしたか?
二つのステージをイメージいただけたでしょうか?

完全に満ち足りた、完全に自由な現実=覚醒とは、つまり、「”私”の喪失」にほかなりません。

 

“私”という意識がこの肉体に宿っていて、”私”は確かにここに存在しているのだと、人はごく自然にそうとらえています。

しかし、実は、自分を認識しているその自己意識、”私”こそが、分離と二元の幻想のそもそもの始まりであり、”私”という個人は、もともとどこにもいないのです。

分離と二元の幻想の発端である”私”が在るかぎり、満たされることのない果てなき探求が延々と続いて、分離のもたらす苦しみから逃れることはできません。

主人公の”私”そのものが消え去ることによってのみ、二元の夢の物語にようやく幕が降ろされ、代わりに、すでにここに在りながらもずっと覆い隠されていた、真に満ち足りている、真に自由な現実、分離のないあるがままの世界(=非二元)が現れるのです。

一般的には、肉体の死によって訪れるこうした現象が、肉体が存続したまま起こり、自己意識が消失して、幻想の”私”が消え去ることを、覚醒と呼んでいるのです。

 

冒頭でお伝えしたように、「原因と結果」という因果関係は幻想であり、本来、覚醒するための方法やプロセスというものはありません。

しかしながら、一方で、因果関係によって成り立っているこの二元の世界では、見かけ上は、目的地へ向かうための道しるべが存在していて、完全に満ち足りた、完全に自由な現実=覚醒へと至るための手掛かりを、先人の描いた先の十枚の禅画の中に見い出すことができます。

覚醒の鍵=「牛」。

「牛」、すなわち自己の本質、ハイヤーセルフとつながり、人生の創造者としての内的パワーを、”私”が自分のものとして所有する段階を経て、初めて、”私”が消え去る準備が整い、覚醒への可能性が開かれると、十牛図の十枚の絵図から読み取ることができるのです。

 

それでは、「内的パワーを所有する」とは、いったいどういうことなのでしょうか?

次回は、このことを明らかにしながら、十牛図の「牛」について掘り下げ、覚醒への鍵にさらに迫っていきますね.。.:*☆

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました☆彡

プロフィール

クリアサイト認定透視ヒーラー

荻野 智晴

上級透視リーダー、上級ヒーラー。 1997年、クリアサイトジャパン「クレアボヤンススクール」「エナジェティック・メディスンスクール」修了。

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