2013. 8. 16 配信
~他人とは姿形を変えた自分自身~
残暑お見舞い申し上げます!
透視リーダー☆ちはるです。
2013年のアツ~イ夏も、間もなく終焉。
新しい季節への入口が、刻一刻と近づいてまいりましたね。
来週8/20(火)~8/2(日)の六日間、東京・表参道のアートギャラリーにて、ヒーリングアート展を開催します。
女神と天使の集う愛と喜びあふれる空間で、ともに新しい自分の始まりを祝福しましょう☆彡
☆2013ヒーリングアーティスト4人展☆
“女神と天使の舞踏会-新しい始まり”
【日時】
8/20(火)~ 8/2(日) 11:00~19:00
※最終日8/25(日)は16:00閉場
※入場無料
【会場】
ギャラリー サロン・ド・フルール
http://www.sunlight-inc.jp/fleur/20130724.html
※地下鉄「表参道駅」B3出口より徒歩3分
【出展】
駒井明子(絵画)、小原ミチル(天使人形)、もりまきこ(絵画)、アンディ・レイキ(絵画)
♪ご来場者全員に、アンディ・レイキ「願いを叶える天使のカード」を無料プレゼント♪
◎ヒーリングアート展の詳細は、こちらをご覧ください♪↓
http://www.sunlight-inc.jp/fleur/20130724.html
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前回のメルマガでは、自分の周りのすべての他人は、空なる意識の自分が創り出している虚像であるとお伝えしました。
今日は、これから、他人という存在について、さらに掘り下げ、人間関係の幻想を解き放ってまいりましょう。
最初に、スバリ、あなたの周りにいる他人の正体を明かしましょう。
あなたの周りの他人は、すべて、あなた自身です。
あなたの家族や友人、近所や職場の人たち、通りすがりの人や、テレビやネットの世界の人たちにいたるまで、あなたの周りのすべての他人は、あらゆる現実の、あらゆるあなた自身の現れです。
この世界の、こんなにたくさんの人たちが、全員、自分だというの?
アラユル現実の、アラユル自分って、いったい、どういうこと??
ここで、まずは、現実の仕組みについて、ひも解いてまいりましょう。
年が明けて間もない2012年のある日。
透視スクールの友人が、興奮気味にメールをくれました。
「光瞑想をしていたら、すごいものが視えたよ!!」
両手で太ももを掻いている自分、両手を上げて伸びをしている自分、両手を垂らして居眠りをしている自分など、まるで、千手観音像を眺めているかのように、両手を膝の上に置いて光瞑想をしている自分とは異なる動作をしている無数の自分の姿が、同時に重なって視えたと言うのです。
友人のこの体験が、この世界についての新たな認識を、私に与えてくれました。
私たちが体験している現実とは、「今この瞬間」の連続によって成り立っています。
動画に見えているこの世界は、実は、今この瞬間という静止画像の連なりなのです。
わかりやすく例えてみましょう。
パラパラ漫画というものをご存知ですか?
パラパラ漫画とは、一枚一枚のページに少しずつ異なる絵の描かれた冊子をパラパラすばやくめくることで、絵が動いているように見える仕組みの漫画です。↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AChttps://www.bing.com/search?q=%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%91%E3%83%A9%E6%BC%AB%E7%94%BB&form=EDNTHT&mkt=ja-jp&httpsmsn=1&refig=f7d9887e4d6b4893da8b7a6351f6ecb3&PC=NMTS&sp=1&qs=HS&sc=8-0&cvid=f7d9887e4d6b4893da8b7a6351f6ecb3&cc=JP&setlang=ja-JPhttps://sunlight-inc.jp/wp/wp-admin/post.php?post=555&action=edit
(出典:ウィキペディア2013.8.16現在)
私たちの世界は、このパラパラ漫画のようなもの。
私たちは、少しずつ異なる一枚一枚の絵、すなわち、「私の人生」という人間ドラマの設計図面一枚一枚の画像を、3D化しながら、超高速で、途切れることなくめくり続けています。
時間の流れとは、つまり、今この瞬間という、ひとつひとつの画像をつないでいる順番のこと。
よく似てはいるけれど少しずつ違う画像をつなげることで、私たちは、時間の流れという錯覚を創り出しているのです。
「過去」「現在」「未来」も、「過去生」「今生」「来生」も、私たちが時間の流れとして認識しているすべての現実は、今この瞬間という個々の画像の連なり。
それらすべてのあらゆる瞬間のあらゆる画像が、今ここに同時に存在しています。
それでは、冒頭の友人の体験は、いったい何だったのでしょう?
友人が視たもの、それは、「並行現実」の自分の姿。
光瞑想をしながら、両手で太ももを掻いている自分。
光瞑想を中断して、両手を上げて伸びをしている自分。
光瞑想を止めて、両手を垂らして居眠りをしている自分。
両手を膝の上に置いて光瞑想をしている今この瞬間の自分とはほんの少しだけ異なる、別の体験をしている別の現実の自分を垣間見たのです。
今ここに、同時に存在している無数の現実、無数の自分をとらえたのです。
両手を膝の上に置いている自分も、両手で太ももを掻いている自分も、両手を上げて伸びをしている自分も、両手を垂らして居眠りをしている自分も、あらゆる瞬間(画像)のあらゆる自分が、今ここに、同時に存在しています。
過去・現在・未来も、過去生・今生・来生も、並行現実も、あらゆる無数の今とあらゆる無数の自分が、すでにここに在るのです。
他人という存在について、話を戻しましょう。
空の意識は、己を観察して己を知ろうと、”自らを分かちて”自分という人間を創り出しました。
同時に、人間の自分を分かちて、自分の周りに他人という分身を創り出しています。
自分という人間にあらゆる角度から光を当てて、他人という自分の影絵を創り出しているのです。
他人は、自分と分離した存在なのではありません。
光と影のように一対の、切り離せない自分の中の一部です。
自分の現実に、そもそも、他人は存在していません。
他人とは、空なる意識の自分が創り出している、姿形を変えた自分自身にほかなりません。
先にお伝えしたように、過去・現在・未来、過去生・今生・来生、並行現実という、無数の現実の無数の自分が、今ここに同時に存在しています。
言い換えれば、自分というひとりの人間の中に、あらゆる側面とあらゆる可能性を具えた無数の自分が、自覚されずに内在しているのです。
自分の周りのすべての他人は、そうしたあらゆる自分の現れ。
他人という存在は、空なる意識の自分が創り出している虚像であり、同時に、あらゆる自分をありのままに映し出している、自分自身の投影なのです。
次回は、他人が自分の投影であるとは、具体的にはどういうことなのかについて、体験談を交えながら、わかりやすくお伝えしてまいりますね。
最後までお読みくださり、ありがとうございました☆