2015. 8. 21 配信
~原因と結果という因果関係は存在しない~
こんにちは!
透視リーダー☆ちはるです。
来週8/25(火)~8/30(日)期間、東京・表参道にて、恒例のヒーリングアート展を開催します。
“目覚め”の連鎖が急拡大している2015年。
今回は、七色の龍と七つの海の女神たちが、”空”への目覚めをいざなう空間を彩ります。
女神と天使と龍と戯れながら、ぜひ至福のひとときをお過ごしくださいね♪
☆2015ヒーリングアーティスト4人展☆
「女神と天使の舞踏会-“目覚め”」
【日時】
8/25(火)~8/30(日) 11:00~19:00
※最終日8/30(日)は16:00閉場
※入場無料
【会場】
ギャラリー サロン・ド・フルール
http://www.sunlight-inc.jp/fleur/20150718.html
東京・南青山 地下鉄「表参道駅」より徒歩3分
【出展】
小原ミチル
http://cocoro-michilu.com/
駒井明子
https://s-nm-n-mizunohoshi.amebaownd.com/
戸田秀昭
http://blue2013.jp/spia/
みなみわか
http://wanoca33.wix.com/waka-minami
◎ヒーリングアート展の詳細はこちらをご覧ください♪↓
http://www.sunlight-inc.jp/fleur/20150718.html
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最初に、こんな愚問を問いかけてみましょう。
今、お財布に3万円が入っているとします。
ここから2万円を出費したなら、お財布の中身はいくらになるでしょうか?
3万円 – 2万円 = 1万円。
あまりに当たり前すぎる常識ですよね?
ところが、幻想から目覚めて生きている人たちの中には。
3万円 – 2万円 = 3万円。
出費したはずのお金が減らないなんていう、そんな辻褄の合わない非常識な出来事を実際に体験している人たちが、数多くいるのです。
今日は、これから、「原因と結果」について取り上げ、こうした非常識な出来事のカラクリをひも解いていきますね。
今からちょうど三年ほど前、ダンス教室での出来事です。
休憩時間のトイレ待ちで、私の前に入ったT子さんが、なかなかトイレから出てきません。
あまりの遅さにイライラし始め、ふとトイレのドア鍵に目を向けてみると。
「閉」になっていたはずの鍵が、「開」の状態に変わっていることに気づきました。
ドアをノックしてみても応答がないので、おそるおそるそーっとドアを開けてみると。
なんと、そこには誰もいません。
先ほど、目の前でT子さんがトイレに入るのを、確かに見たというのに。
さらに驚いたことに、今度は、誰も入っていなかったはずの隣の男子トイレから、黒いシャツに黒いズボンをはいたK男さんが、突然姿を現したのです。
その日のT子さんもまた、K男さんと同じように、黒いシャツに黒いパンツ姿。
女子トイレに入ったT子さんが、K男さんに変身して男子トイレから出てきたかのような、奇妙奇天烈なマジックショーを見ているかのようでした。
この”トイレ事件”が、まさに、その後に続く数々の”辻褄の合わない非常識な出来事”の幕開けとなりました。
これはいったい何が起きていたのでしょう?
ここで、今一度、現実の仕組みについて振り返り、この非常識な出来事の謎に迫っていきましょう。
人生とは静止画像の連なりであると、以前にお伝えしたことを覚えているでしょうか?↓
※Vol.24 ハイヤーセルフを超えて【幻想から目覚める④】
人生という物語の中の景色や出来事は、パラパラ漫画やアニメの映像のように、ひとコマひとコマ描写の異なる無数の静止画像が、超高速で連続して映し出されることによって、刻々と移り変わりゆく動きのある映像として見えています。
物語の中の連続している前後の画像は、結びついていて、あたかも影響を与え合っているかのように見えますが、実際は、そうではありません。
個々の画像はどれも、ほかのどの画像とも関連なく、それぞれバラバラに、独立フリーの状態で存在しています。
冒頭のお金の話を用いて、このことを具体的にとらえていきましょう。
3万円のうち2万円を出費して、お財布に1万円が残っているとします。
この場合、「3万円のうち2万円を出費したから」(原因)、「お財布の中身は1万円になった」(結果)というように、前の画像(現実)が後の画像(現実)に影響を与えていて、両者は因果関係で結びついているかのように見えます。
ところが、実際には、そもそも、連続しているこれら二つの画像(現実)に関連性はなく、原因と結果という時間軸上の因果関係によって、両者が結ばれているわけではありません。
「3万円のうち2万円を出費した」画像(現実)と、「お財布の中身は1万円である」画像(現実)は、それぞれ単独でバラバラに、今ここに同時に存在しています。
「3万円のうち2万円を出費したから、お財布の中身は1万円になった」とは、実は、人間の自我が創り上げている解釈(ストーリー)であり、私たちのマインドが自動的に二つの画像を結び付けて、両者の間に関連性を与えているだけなのです。
「水を熱したら、沸騰した」という日常の風景も、「水を熱した」ことと「沸騰した」こととの間には、もともと因果関係はありません。
「転んで、膝を擦りむいた」という体験も、「転んだ」現実と「膝を擦りむいた」現実が、互いに関連なく、それぞれ単独で起きています。
因果関係があるかのように見える一連の出来事は、単独でバラバラに存在している無数の画像が、空の法則のもとに順番通りに規則正しく放映されている、機械的な配列パターンの現れに過ぎません。
「こうすれば(原因)、こうなる(結果)」という常識は、淡々と規則的に放映され続けている無数の画像が、人間のマインドによって連結され、関連づけられ、意味づけされて創り上げられた解釈であり、幻想なのです。
それでは、前述の非常識な出来事、”トイレ事件”では、いったい何が起きていたのでしょうか?
そこにいたはずの人が、突然消え失せたり。
誰もいないはずの空間に、人が出現したり。
こうした一連の非常識な出来事は、実は、単に、マインドが認識している通常の配列とは異なるパターンで画像が放映された、というだけのことです。
そこにいたはずの人が突然消えたり、人が突然現れ出たかのように見える順序で、画像が配列され、放映されたのです。
通常の配列パターンの画像のいくつかが、まるで、まったく別の画像と差し替えられたり、ごっそり抜け落ちたりでもしたかのような、突拍子もない常識を超えた配列パターンの現れを、”辻褄の合わない非常識な出来事”としてマインドが認識したのです。
画像(現実)のひとコマひとコマが単独で存在しているとは、言い換えれば、この瞬間と次の瞬間とは、バイブレーションの異なる別々の次元空間であり、まったく別の現実であるということです。
たとえ表面上は変わらず同じ状況に見えるとしても、私たちは、一瞬一瞬、どれひとつとして同じでない、まったく新しい現実を生きています。
今ここ・今この瞬間という地点は、一寸前もいかなる過去にも影響を受けてはいない、一寸先もいかなる未来にも縛られてはいない、いかなる制約も制限もない、無時間・永遠で独立フリーな、無限の可能性の広がるゼロポイント。
人生とは、つまり、今ここ・今この瞬間という、それぞれが単独でバラバラに存在している、創造無限の無数の”点”の集まりなのです。
ところが、「こうすれば(原因)、こうなる(結果)」という常識や関連づけの思考が、単独で存在している創造無限のシンプルな点と点とを、直線的な時間軸でつなぎ合わせて、現実を固定化させ、人生を重たく複雑で深刻なものにしています。
「努力しなければ(原因)、欲しいものは手に入らない(結果)」という条件づけの固定観念がオーラ(意識)の中にあるのなら。
空の法則に従って、その観念通りの配列パターンが展開され、欲しいものを手に入れるまでに、長い時間をかけて、たくさんの努力を重ねる現実(画像)を体験することでしょう。
一方で、そのような条件づけの思考には縛られることなく、欲しいものが、今この瞬間にすでに手中にあるかのような、そんな喜びあふれるバイブレーションの意識にあるのなら。
たとえ常識では実現不可能と思われる状況にあろうとも、今この瞬間というA点から思いの実現しているB点へと、スピーディーにスムーズに画像(現実)が切り替わって、欲しいものがあっという間にたやすく手に入ることでしょう。
「時間がないから(原因)、できない(結果)」と思うほどに、その思いの通りに時間が収縮し、時間が足りない現実(画像)が展開して、ますます時間がなくなり、やりたいことがますますできない、窮屈で重たい不自由な状況へと陥っていくでしょう。
一方で、たとえ時間が限られていようとも、「できる」と思えるゆとりの意識にあるのなら。
時間が拡張して時間的ゆとりが広がり、やりたいことを自由にやりたいだけできる現実(画像)が、たちまち開かれていくのです。
お金についても同じです。
3万円 – 2万円 = 1万円というお金の計算は、単独で存在している創造無限の点と点とが、関連づけの思考によってつなぎ合わされ、固定化されて創り上げられた解釈であり、幻想です。
3万円のうち2万円を使おうが、3万円を使い切ろうが、あらゆる常識や関連づけの思考から解放されて、いつでも満ち足りたる豊かな意識にあるのなら、次の瞬間には、お財布の中に3万円が入っている、という魔法のような現実さえも起こり得るのです。
実際に何度もそのような体験をしていて、使ったはずのお金が減らない現実が日常化している、私の友人のように。
今ここ・今この瞬間という、何にも縛られない無時間・無限のゼロポイントでは、どのような現実も創造可能であり、どのような奇跡も起こり得ます。
ゼロポイント=”空”意識。
あらゆる常識や関連づけの思考がほどかれ、無限に豊かなる”空”へと意識が上昇するにつれて、人生が、まさに奇跡のような、非常識な瞬間の連続となっていくことでしょう。
次回は、禅画「十牛図」について再び取り上げ、十枚の絵図に隠された空の法則を解き明かしていきますね.。.:*☆
最後までお読みくださり、ありがとうございました☆彡