2013. 10. 25 配信
~いつもの景色はいつでもそこにあるという幻想~
こんにちは!
透視リーダー☆ちはるです。
「箱の爆破」のエネルギーワークを毎日実践し続け、見事に現実を変えたY子さんから、先日、後日談のお便りをいただきました♪
(前回の体験談はこちら↓
Vol.25 ハイヤーセルフを超えて【幻想から目覚める⑤】)
55歳の誕生日を目前に、長年の夢の実現に向けて、居心地良い職場を去る決意をしたY子さん。
退職まで間もないある日。
何気なく友人に連絡を取ったところ、その友人が自分の勤務先で近々求人募集があると教えてくれたのです。
しかも、その求人内容というのが、Y子さんの得意分野の職務で、給与面も今よりずっと高待遇。
それは、夢の実現の一歩にうってつけの、Y子さんにとって、まさに理想的な仕事でした。
すぐに友人の紹介で、面接を受けることに。
そして、その翌日、現職の最終勤務日に、採用決定の知らせを受け取ったのでした。
退職の際には、エネルギーワークを実践する以前には不仲であった同僚から、温かい応援の言葉と花束を贈られ、感極まり胸がいっぱいに。
「思い切って一歩を踏み出したら、急に何もかもがトントン拍子に運んで。
これまでの20年間の苦難がウソのよう」
そんな嬉しい驚きとともに、新しい環境で新しい始まりを満喫しているY子さん。
今も、毎日欠かさず、エネルギーワークを実践しているそうです☆.。.:*・
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これまで、「幻想」について掘り下げ、この世界の真相をひも解いてまいりました。
私たちが現実だと認識しているすべては、空なる意識の自分が創り出している虚像。
他人とは、自分の投影であり、自分の世界の中だけの幻なのでしたね。
今日は、いよいよ、三番目のトピックス、「意識を向けていない対象物は実体化していない」ということについて、お伝えしていきましょう。
(幻想についての三つのトピックス↓
Vol.21 ハイヤーセルフを超えて【幻想から目覚める①】)
最初に、以下について振り返ってみましょう。
・いつもの景色は、いつでもそこにある。
・いつもの人たちは、いつでもそこにいる。
・寝ている間、肉体は寝ているその場所にある。
全部、当たり前のことじゃない。
いつもの自分が、そう反応するかもしれません。
けれど、私たちが当たり前ととらえているこれらすべては、どれも事実ではないのです。
これから、これらの真相を明らかにしていきましょう。
◆いつもの景色は、いつでもそこにある?
いいえ、実際は、そうではありません。
いつもの景色が、あたかも”いつでも”そこにあるかのように、空の意識が人間の自分に信じ込ませているだけです。
具体的には、こういうことです。
たとえば、今あなたが背後を振り向けば、あるべきモノがそこにあることでしょう。
あなたが家の窓を覗いて外を眺めれば、そこには、いつもの見慣れた風景が広がっていることでしょう。
あなたの背後にあるモノも外の風景も、いつでもそこにあるかのように見えています。
実は、ここにトリックがあります。
今この瞬間に、あなたが背後を意識するまでは、あなたが窓の外を意識するまでは、あなたの背後にも窓の外にも、そこには何もありませんでした。
自分の背後に、窓の外に、あなたが意識を向けたその瞬間に初めて、そこに空間が出現したのです。
あなたがそこを意識したことによって、あなたの意識したモノがあなたの球体世界の中で
カタチあるものとして”実体化”したのです。
あなたが再び背を向けたなら、ひとたび窓辺から離れたなら、背後にあるはずのモノも窓の外の風景も、そこにはもう何も実在しないのです。
バカバカしい、そんなはずはない。
そんな否定や疑いの気持ちが湧くのなら、思い出してください。
今あなたの周りにあるものは、すべて、空なる意識のあなたが創り出していると、以前にお伝えしたことを覚えているでしょうか?↓
Vol.22 ハイヤーセルフを超えて【幻想から目覚める②】
私たちは、ひとりひとりが、それぞれに、異なるシャボン玉球体世界の中心にいて、自分独自の自分だけの現実を開いているのでしたね。↓
Vol.23 ハイヤーセルフを超えて【幻想から目覚める③】
言い換えれば、あなたという存在がなければ、あなたという意識がなければ、何ひとつ、この世界に存在することはできません。
自分の周りの物理空間は、自分という存在とは関わりなく、いつでもそこにあると私たちは信じ込んでいます。
けれど、それは誤認であり錯覚です。
あなたの周りの物理空間は、あなたから独立して、あなたと分離して存在しているのではありません。
あなたの周りのモノや空間は、あなたとつながっています。
なぜなら、あなたの周りの物理空間を創り出しているのは、空の意識のあなたにほかならないからです。
空の意識がそこにあるからこそ、あなたがそこを意識するからこそ、あなたという人間ドラマの設計図が3D映像化され、そこにモノや空間が現れるのです。
今この瞬間に、あなたの意識がそこになければ、あなたがそこを意識しなければ、そこに物理空間は開かれません。
今この瞬間に、あなたの意識がそこにあることで、あなたがそこを意識することで初めて、そこにモノや空間が現れるのです。
あなたが仕事を終えてオフィスを離れたなら、いつものオフィスはもうそこにはありません。
買い物を終えてスーパーを出たあなたの背後に、スーパーの建物はもはや見当たりません。
日常を離れてくつろいでいる旅先では、あなたの住まいや家の中のモノを、あなたの球体世界の中で見出すことはできないでしょう。
だって、あなたの意識がそこにないのなら、あなたがそこを意識しないのなら、そこには何も実在しないのですから。
いつもの景色は、いつでもそこにあるわけではないのですから。
◆いつもの人たちは、いつでもそこにいる?
それでは、人についてはどうでしょう?
あなたの家族や友人、近所や職場の人たち、通りすがりの人や、テレビやネットの世界の人たちは、いつでもこの世界に実在しているのでしょうか?
この疑問への答えとして、わかりやすい例を挙げてみましょう。
あなたが学生時代の同窓会に参加したとします。
そこで20年ぶりに当時のクラスメイトたちと再会。
懐かしい面々と、昔話に花を咲かせたり、互いの近況ついて語り合うことでしょう。
さて、クラスメイトたちと会わずにいたその20年間。
はたして、彼らはこの世界に実在していたのでしょうか?
年齢を重ねた彼らの顔を見つめながら、彼らの20年間に思いを馳せるとき、あたかも、彼らがこの20年間、自分と同じこの世界の別の場所に実在していたかのような錯覚にとらわれるかもしれません。
けれど、実際は、彼らと会わずにいた20年間、彼らはこの世界には実在していませんでした。
あなたが彼らを意識することなく過ごしていた間、あなたの球体世界の中で、彼らという人間たちは、実体化していなかったのです。
20年ぶりに再会を果たしたその瞬間に初めて、20年の歳月を経た彼らという人間たちが実体化し、この世界に現れたのです。
あなたの家族や友人も、近所や職場の人たちも、通りすがりの人も、テレビやネットの世界の人たちも、今この瞬間にあなたが彼らを意識していないのなら、彼らはこの世界に実在していません。
今この瞬間に、あなたによって意識されていない人は、あなたの球体世界の中で実体化してはいないのです。
今この瞬間に、あなたがその人を意識することで初めて、その人は実体化して、この世界に現れるのです。
このように、ヒトもモノも空間も、自分が意識を向けていない対象は、この世界では実体化していません。
今この瞬間にあなたによって意識された対象のみが、この世界でカタチあるものとして実在し、あなたによって体験され、観察されるのです。
ならば、自分についてはどうでしょう?
自分という存在を意識していない間、すなわち、意識が肉体から離れている就寝中、私たちの肉体は、どのような状態にあるのでしょう?
次回は、この問いかけについて掘り下げ、真相を明らかにしてまいりましょう。
最後までお読みくださり、ありがとうございました☆