2014. 9. 26 配信
~二元性の二極は同じ価値。うまくいっている状況とうまくいっていない状況は同じ価値~
こんにちは!
透視リーダー☆ちはるです。
先月末のアート展へご来場くださったみなさま、たくさんの笑顔を本当にありがとうございました!
朝一番に会場を訪れてくださった、生き生きキラキラオーラのMini花さんが、こんな深い気づきの言葉をシェアしてくれました。
「喜びも苦しみもまったく同じ価値があるとわかった」
ここ数年で意識が大きく変わったというMini花さん。
花屋開業の夢を思い描いてきたMini花さんのもとに、先月、信じられないほど好条件の店舗物件が突如現れ、そのままトントン拍子にコトが運んで、いよいよ来月10月20日に花屋をオープンすることに。
Mini花さんの長年の思いが、ついに実を結んだのです。
*Mini花さんのフラワーショップのホームページ*
「Mini花のあなたに贈る花の力」↓
http://minika.jimdo.com/
「”ゆだねる”意識へ変わったとたんに、あっという間に新しい世界が開かれて」
この数か月の急展開について、ゆったり笑顔でそう話すMini花さん。
Mini花さんのお花屋さんに、みなさまの新しい人生ステージに、笑福の輪が大きく広がっていきますように☆.。.:*・
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すべては等しく価値がある。
2012年とある秋の日の朝。
この言葉を、心の中で、念仏のように繰り返し唱えつつ目が覚めました。
これは大切な言葉だから覚えておかなければ。
そんな強い思いとともに。
自分に何が起きていたのかは定かではありませんが、夢の世界で伝えられたメッセージをそのまま現実世界へ持ち帰ってきたという感覚がありました。
あなたには価値があります。
あなたはありのままで完全です。
それまで絵空事のように聞こえていた、これらのスピリチュアルな決まり文句も、夢で受け取ったこの言葉を通して初めて腑に落ちました。
すべては等しく価値がある。
これからこの言葉の意味を掘り下げ、私たちの自我意識に刷り込まれている価値観のプログラムを解除していきましょう。
最初に、今の自分を眺めてみましょう。
あなたの人生は今どのような状況にありますか?
そして、そのような状況において、どのような感情を抱いているでしょうか?
恐れや不安を感じていたり、怒りや嫌悪を感じているでしょうか?
焦りや苛立ちを覚えていたり、嫉妬や惨めな気持ちを味わっているでしょうか?
あるいは。
喜びや楽しさを感じていたり、平和や安らぎを感じているでしょうか?
ウキウキと心ときめいていたり、自信やヤル気に満ちあふれているでしょうか?
さて。
これらの感情はいったいどこから来るのでしょう?
私たちを沈んだ気持ちにさせたり、私たちの気分を高揚させているものは、いったい何なのでしょうか?
私たちの感情を引き起こしているものとは?
実は、外的状況そのものが私たちの心を苦しめたり、私たちに喜びを感じさせているわけではありません。
そもそも状況それ自体は、苦しいものでも嬉しいものでもない、何ら意味を持たない中立な出来事に過ぎず、私たちの感情を刺激している材料でしかありません。
すべての感情を引き起こしている、すべての感情の根底にあるもの、それは「価値観」。
こちらはよいけれどあちらはよくないという価値の偏り、私たちの内にプログラムされている価値観こそが、私たちに二極の感情を生じさせているのです。
価値の偏りとはどのようなものでしょう?
具体的な例を挙げてみましょう。
生はよいけれど、死はよくない。
元気はよいけれど、病気はよくない。
豊かなのはよいけれど、貧しいのはよくない。
成功はよいけれど、失敗はよくない。
勝つのはよいけれど、負けるのはよくない。
賢いのはよいけれど、愚かなのはよくない。
得るのはよいけれど、失うのはよくない。
つまり、これらを言い換えると。
生は価値があるけれど、死は価値がない。
元気は価値があるけれど、病気は価値がない。
豊かなのは価値があるけれど、貧しいのは価値がない。
成功は価値があるけれど、失敗は価値がない。
勝利は価値があるけれど、敗北は価値がない。
賢いのは価値があるけれど、愚かなのは価値がない。
得ることは価値があるけれど、失うことは価値がない。
私たちは、こうして、○かXかで二極を価値付けし、二極の一方のみに価値を留め置いて、二極の一方に頑なにしがみついているのです。
価値の偏りの例をさらに挙げてみましょう。
就業はよい(価値がある)けれど、失業はよくない(価値がない)。
有能はよい(価値がある)けれど、無能はよくない(価値がない)。
勤勉はよい(価値がある)けれど、怠慢はよくない(価値がない)。
完遂はよい(価値がある)けれど、挫折はよくない(価値がない)。
成長はよい(価値がある)けれど、衰退はよくない(価値がない)。
繁栄はよい(価値がある)けれど、没落はよくない(価値がない)。
家庭があるのはよい(価値がある)けれど、独身であるのはよくない(価値がない)。
結婚はよい(価値がある)けれど、離婚はよくない(価値がない)。
家庭円満はよい(価値がある)けれど、家庭不和はよくない(価値がない)。
交友があるのはよい(価値がある)けれど、孤独はよくない(価値がない)。
明るくハツラツしている人はよい(価値がある)けれど、暗くてジメジメしている人はよくない(価値がない)。
キレイなオーラはよい(価値がある)けれど、ヨゴレたオーラはよくない(価値がない)。
若いのはよい(価値がある)けれど、老いているのはよくない(価値がない)。
美しいのはよい(価値がある)けれど、醜いのはよくない(価値がない)。
お金が入るのはよい(価値がある)けれど、お金が出ていくのはよくない(価値がない)。
自我意識に刷り込まれたこうした価値観によって、私たちは、そうとは自覚のないまま己を洗脳しています。
これらの価値観はもはや当たり前になりすぎていて、これらが己を洗脳しているプログラムであることに、私たちは気づかずにいます。
当たり前になりすぎているために、手放そうともしません。
骨の髄まで染み込んでいるこうした価値の偏りによって、私たちは自動的に価値のある一方を追い求め、価値のないもう一方からどうにか逃れようと、感情にまみれ、感情に振り回され続けています。
なかなか豊かになれない自分に、いつまでも成功できない自分に、いつも勝てない自分に惨めな気持ちを味わっていたり。
愚かな自分を恥じたり、怠け者だと自分を責めたり。
何かを失うことを恐れたり、何かを得ようと頑張ったり。
どうにもうまくいかないと焦り、苛立ち、落ち込んだり。
こんな現実は受け入れがたい、こんな自分には価値がないと、理想には遠い現実と理想とは違う自分を裁いて、苦しみを味わっています。
そして、ひとたび価値のある一方へと状況が転じると。
こんなによいことがあった、こんなによい変化があった、こんなにうまくいったと私たちの自我は喜びます。
自分はここまでやり遂げた、自分はこれだけ成長できた、自分はこれだけのものを手に入れたと、自我が満足して高揚した気分を味わっています。
そうして、そのまま快適な領域に留まり続けようと努力を重ねるうちに、やがて反転作用が生じて、再び苦しみが廻ってくるのです。
このように、価値の偏りが根底にある限り、重たい感情にまみれた堂々巡りの人生ドラマから、いつまでたっても抜け出すことができません。
それでは、価値の偏りから解放され、価値観がゼロへと戻されていくと、どうなるのでしょう?
焦らなくなります。
頑張らなくなります。
比べなくなります。
執着しなくなります。
不安がなくなります。
ゆとりが広がります。
悩みや苦しみから解放されるとともに、条件付けの喜びや高揚感に振り回されることもなくなります。
ハートがゆったりと今ここにくつろいで、起こるがままにゆだねる人生へと変わっていきます。
自分も他人も現状も、すべてはこのままでよいのだ、ありのままで何も問題はないのだと気づいて、もはや何かを変えたいとは望まなくなります。
こうなりたいと渇望する自我の声が静まり、代わりに、そうなることを「知っている」自分がいます。
こちらでもあちらでもどちらでもかまわない。
そんな中立で自由な意識状態へと変化していきます。
すべての価値を等しく認めて、ありのまますべてを等しく受け入れる無条件の愛へとハートが開かれ、今ここに在ることの喜びにハートが満たされていきます。
私たちの価値観がゼロへと戻されるにつれ、無条件の愛と今ここに在ることの喜びに満ちた、創造無限の豊かな意識状態=「空意識」へと近づいて、望む以上の現実がおのずと展開されていくのです。
では、最後に、私たちの価値観をゼロへと戻していきましょう。
生と死は、同じ価値。
元気と病気は、同じ価値。
豊かさと貧しさは、同じ価値。
成功と失敗は、同じ価値。
勝利と敗北は、同じ価値。
賢さと愚かさは、同じ価値。
得ることと失うことは、同じ価値。
就業と失業は、同じ価値。
有能と無能は、同じ価値。
勤勉と怠慢は、同じ価値。
完遂と挫折は、同じ価値。
成長と衰退は、同じ価値。
繁栄と没落は、同じ価値。
家庭があるのと独身であるのは、同じ価値。
結婚と離婚は、同じ価値。
家庭円満と家庭不和は、同じ価値。
交友があるのと孤独であるのは、同じ価値。
陽気な人と陰気な人は、同じ価値。
キレイなオーラとヨゴレたオーラは、同じ価値。
若さと老いは、同じ価値。
美しさと醜さは、同じ価値。
お金が入ることと出ていくことは、同じ価値。
二元性の二極は、同じ価値。
つまり。
うまくいっている状況とうまくいっていない状況は、まったく同じ価値。
颯爽と輝いている自分と泥沼でもがいている自分は、まったく同じ価値。
笑っている自分も泣いている自分も、喜びも苦しみも、まったく等しく価値があるのです。
過去、現在、未来のいかなる瞬間のいかなる状況も、あなたによって創造され体験されるすべての現実は、すべて等しく価値があります。
あなたが今どのような状況にあろうと、何を考え何を感じていようと、何をしていようが何もしていなかろうが、あなたには価値があります。
あなたはありのままで完全です。
今ここに在るというただそれだけで、私たちは誰もがみな等しく価値があるのです。
次回も、引き続き、価値観について掘り下げていきますね。
永遠に満ち足りているゼロへと回帰していきましょう.。.:*☆
最後までお読みくださり、ありがとうございました☆彡