2015. 1. 23 配信
~人は二元性の相対的幸せに振り回されて生きている~
こんにちは!
透視リーダー☆ちはるです。
昨年の大晦日、鎌倉の八幡宮で、心身の穢れを清める「大祓式」に参列しました。
神事の最中、何気なく透視をしてみたら。
ヤマトタケル似の勇ましげな存在が、参列者の邪気を振り祓っているさまが視えたんです。
その翌々日、年明け二日目の朝。
激しい頭痛と吐き気とともに目が覚めました。
まさかのインフルエンザ?と思いながら、重たい身体のまま丸二日ほど経ったところで。
それらの症状がスーッと消え去りました。
宮=空。
「八幡宮」や「神宮」の”宮”とは、実は、”空”というゼロ・無限場の象徴なのですよね。
肉体に溜め込まれていた大きなカルマが、”宮”での年越大祓で、頭痛と吐き気ごと取り払われてゼロへと戻り、身も心もスッキリ軽やかな新しい自分へと生まれ変わったのでした♪
来月は旧正月、いよいよ本格的な新年の始まりですね。
新しい年の幕開けを、ともにゆるりと楽しんでいきましょう☆.。.:*・
・・・・・・・・*・・・・・・・・*・・・・・・・・*・・・・・・・・
あなたはすでに幸せです。
どうすれば幸せになれますかと尋ねて、もしこんな言葉が返ってきたとしたら。
無知無明の18年前の私なら、はぁ?何言っちゃっているの!?
この現状のどこが幸せだって!?
などど、腹を立てていたことでしょう。
近年、意識の広がりとともに”空”への認識が深まるにつれ、人はみなもともと幸せなのだと気づくに至りました。
私たちは誰もが絶対的に幸せであり、そもそも幸せ以外の状態にはなりようがないのです。
真の幸せとは、己がもともと幸せであることにただ気づくこと。
今回は、そんな幸せ談義をほのかに交えながら、ありのままの感情を受け入れるための第三ステップ、「感情を感じ切る」へと話を進めていきますね。
前編の今日は、人間の意識レベルの全体像を把握していきましょう。
まず、最初に、以前ご紹介した「塞翁が馬(さいおうがうま)」の現代版、主人公A子さんのドラマを再び読み返してみましょう。↓
*Vol.39 ハイヤーセルフを超えて【事実は何?】
人間意識のありようを象徴するこのドラマを読んで、どのように感じられたでしょうか?
このドラマの全体像を眺めてみると、どことなく滑稽に感じられたり、まるで喜劇のように思われたりはしませんか?
人間の一生とは、おおむね、この主人公A子さんのドラマのようなものです。
こんなことがあって幸せ。
あんなことになって不幸。
二元性の二極を交互に行き交いながら、やれ幸せだ不幸だと、人は出口のない果てなき堂々巡りの幸せごっこに興じています。
左右の間を交互に均等に揺れている振り子を、どうにかして片側方向のみへと揺らそうと、必死にもがいて頑張り続けています。
たいていの人は、こうした人生のありように疑問を抱くことはなく、己の意識の奥深くを見つめることもないまま、かりそめの幸せを追いかけ続けて生涯を過ごします。
いわば、二元性の”幻想ドーム”という、真実の閉ざされた暗くて狭い窮屈な世界の中で、人は眠ったまま生きているのです。
では、今度は、A子さんのドラマからさらに視点を遠くに引いて、二元性の幻想ドーム全体を外側から眺めてみましょう。
この幻想ドームの中には、物質世界に意識を埋没させて生きている多数派と、精神世界を探求している少数派の二つのグループがあります。
精神世界を探求している少数派のグループでは、己の内側を変えよう、よりよい人生を生きようと、さまざまな内的活動が繰り広げられています。
自己啓発、成功哲学、心理療法のほか、思考は現実化するという教えを実践して、ポジティブに生きようと思考をコントロールしていたり。
潜在意識を書き換えて心のブロックを解放したり。
催眠療法、前世療法、○○セラピー、透視、霊視、チャネリング、○○ヒーリングなどのスピリチュアルな手法を試みたり、瞑想や呼吸法やボディワークを実践したり。
ハイヤーセルフとのつながりを深めよう、女神や天使のメッセージを受け取ろう、アカシックレコードへアクセスしようと働きかけたり。
こうした心理的なアプローチやスピリチュアルな領域に取り組んでいる人たちの集合意識をよくよく観察してみると。
ある興味深い共通点が見えてきます。
内的探求に取り組んでいる人たちの共通点、それは、幻想ドームのほかの住人たちと同じように、己が幻想ドームの中にいることを知らないということです。
ドームの外に別の世界が広がっていることには気づかず、ドームの内に意識を閉じ込めた状態で生きています。
具体的に言えば、二元性の幻想ドームの中で精神世界を探求している少数派のグループは、物質世界に意識を埋没させている多数派に比べれば、より開かれた意識状態にはあるものの、二元性を超えた空なる全体への目覚めには至らず、いわば、”半睡”状態の意識レベルにあるのです。
半睡状態の意識とは?
この世に生まれてきたと錯覚しています。
いつもの景色はいつでもそこに在ると思い込んでいます。
他人が己の投影であることが腑に落ちていません。
自我自力で人生をコントロールしようと頑張っています。
感情と一体化して感情に振り回されています。
神々や天使たちを人間以上の崇高な存在ととらえています。
個の生まれ変わりを信じています。
「自由意思」や「選択」が幻想であるとは知りません。
そして、半睡意識のもっとも大きな特徴は、二元性の二極の一方を追い求めていること。
二極の一方に価値を留め置いて、二極の一方をひたすら追いかけ続けていながらも、当人にはその自覚がまったくないということです。
半睡状態の意識レベルでは、人は心理的なアプローチやスピリチュアルな方法によって、重たい思考や感情にどうにか対処しながら、問題を解決しよう、思いを実現しようと頑張っています。
人生を好転させて幸せになろうと、幸せを追い求めています。
良い方へ良い方へと望むこうした心のありようそのものが、二元性の価値観を握って二極の一方を追いかけ続けている、飢えたる自我意識の現れであることに気づいてはいません。
二極の一方を追い求めている限り、問題が次々と現れ出て、悩みや苦しみが止むことはないのだとは気づかずにいます。
二元性の堂々巡りの幸せごっこから抜け出した先にこそ、己が本当に求めている真の幸せがあることを知りません。
内的探求のそもそもの目的とは、二元性の相対的な幸せを手に入れて、自我を満足させることではありません。
すべての内的活動は、空なる全体へと続く目覚めの道程。
人が心理的なアプローチやスピリチュアルな領域に取り組んでいるのは、二元性の幻想ドームそれ自体から脱却して、絶対至福の空なる全体に目覚めて生きたいと、誰もが潜在的にそう求めているからなのです。
キツツキが壁をつついて削るように、ゆっくりコツコツとソフトに。
ハンマーで壁を叩いて亀裂を走らせるがごとく、スピーディーに大胆にハードに。
その人それぞれにふさわしいペースとふさわしいやり方で己の内側を掘り下げるにつれ、固定観念や価値観という思考の岩塊が少しずつ削られ、幻想ドームの分厚い自我の城壁が薄くなっていきます。
そして、あるとき、幻想ドームがガラガラと一気に崩れ落ちて、意識の目覚め(覚醒)が起こるかもしれないのです。
精神的、霊的な気づきを得て内的探求に取り組んでいる人たちの多くは、二元性の相対的な価値や幸せにとらわれ続けていて、幻想ドームの外へと意識を広げることができません。
そうして、結局は、半睡意識のまま目覚めることなく、幻想ドームの中で一生を終えてしまうのです。
幸せになろう、幸せを手に入れようと、二元性の相対的な幸せを追い求めている限り、悩みや苦しみから解放されることはなく、幻想から目覚めることもありません。
幸せとは「手に入れる」ものではないし、そもそも人は「幸せになる」ことなどできません。
空なる私たちは、もともと絶対至福そのものであり、真の幸せは、すでに今ここに在るのですから。
誰もが二極の一方に価値を留め置いて、二極の一方を追い求めている幻想ドーム内では、精神世界を探求している人たちと物質世界に意識を埋没させている人たちとの間の双方の意識レベルに、さほどの差異はありません。
ところが、幻想ドームの内と外では、意識のありようがまるで異なります。
両者のバイブレーションは異質であり、ドームの外からはドーム内全体を見通すことができますが、ドームの内からは外の様子を窺い知ることはできません。
近年スピリチュアルなメディアで頻繁に語られてきた「二極化」とは、まさに、この幻想ドームの内と外の二極の意識レベルのことです。
ドームの内で半睡状態で生きるか、ドームの外で空なる全体として在るか。
二元性の相対的幸せに振り回されて生きるか、揺るぎない絶対至福そのものとして在るか。
これら二極のいずれかに、人間の意識が分化していくということなのです。
そして、心に留めておきたいのは、ドームの内と外の二極に分けてとらえるこうした視点も、結局のところは半睡意識(分離意識)の現れに過ぎず、ドームの内と外に何ら価値の違いはないということです。
半睡状態で生きることと、空なる全体として在ることは、同じ価値。
二元性の相対的幸せに振り回されて生きるのも、揺るぎない絶対至福そのものとして在るのも、いずれもまったく等しく価値があるのです。
次回は、「感情を感じ切る」の中編として、目覚めの仕組みについてお伝えしていきますね。
ともに二元性を超えていきましょう.。.:*☆
最後までお読みくださり、ありがとうございました☆彡